富良野市生涯学習センター

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歴史と郷土芸能 : 1 富良野市の歴史
投稿日時: 2006-1-13 12:50:00 (1989 ヒット)

富良野市は北海道のほぼ中央に拡がる富良野盆地に位置しています。盆地の西には夕張山地、東には大雪山連峰から連なる十勝岳山系が屏風を立てかけたようにそびえ立ち、この間を石狩川水系最長の支流である空知川が山々から注ぐ支流を集めて悠々と流下しています。南東部には富良野市域の約を占める東京大学北海道演習林の広大な樹海が拡がっており、多様な動植物が生息しています。
豊かな自然環境に育まれた富良野の雄大な大地。この大地には人間と自然が織りなす数々のドラマがいにしえより刻まれています。

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歴史と郷土芸能 : 2 先史時代の富良野
投稿日時: 2006-1-12 12:50:00 (1996 ヒット)

 富良野市内の先史時代の遺跡は、現在までに127か所が確認されています。最古の遺跡は約12,000年前の東麓郷1・2遺跡で、後期旧石器時代終末期の石器群が出土しています。同時代の北海道内の遺跡では類例の少ない土器片が発見されており、旧石器時代終末期から縄文文化の出現を考究する上で注目されています。旧石器時代の遺跡は麓郷・布礼別・富丘等の標高が400mを越える地点に分布しています。
 縄文時代の遺跡は河岸段丘や扇状地、湧水地の周辺に数多く立地しています。その中でも無頭川遺跡や鳥沼遺跡は規模の大きな遺跡で、発掘調査の結果、竪穴住居址や墳墓などの遺構とともに夥しい量の土器・石器などが出土しています。無頭川遺跡では500基以上の墳墓が確認されており、墓の中から石鏃、石斧、コハク製の平玉などの副葬品が発見されています。

東麓郷1遺跡出土の遺物群
 













無頭川遺跡出土の土器群







無頭川遺跡出土の琥珀製平玉







 縄文時代の遺跡が数多く確認されている一方で、続縄文時代前半以降の遺跡は僅少です。これに後続する擦文時代の遺跡も極めて少なく、アイヌ文化期の遺跡は今のところ見つかっていません。

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歴史と郷土芸能 : 3 富良野盆地の発見
投稿日時: 2006-1-11 12:50:00 (1877 ヒット)

大雪十勝岳山系眺望の図(松浦武四郎「十勝日誌」より)




 富良野盆地を初めて訪れた和人は、函館奉行所石狩在勤の足軽松田市太郎とされています。市太郎は1857年(安政4)に美瑛川上流から十勝岳に登頂し、硫黄を持ち帰ったことが『イシカリ川水源見分書』に記録されています。翌年の1858年(安政5)には蝦夷地探検で知られる松浦武四郎が美瑛から山麓沿いに十勝越えをしたときに富良野を通過したことが、『十勝日誌』に記されています。

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歴史と郷土芸能 : 4 富良野原野の開拓
投稿日時: 2006-1-10 12:50:00 (2555 ヒット)


中村千幹氏










1896年(明治29)、北海道庁による富良野盆地の殖民地区画測量が行われ、その翌年にはフラヌ原野の貸下げが告示されました。1897年(明治31)、福岡県出身の中村千幹が地元の代議士佐々木正蔵の名義で、土地の貸下げを受けて筑後組合農場の管理人として扇山に入地しました。これが富良野市の開拓のはじまりです。



明治38年 本間牧場の開拓






富良野市域の開拓地は資本家による大農場や札幌農学校附属第八農場(後の北海道大学)・東京帝国大学農科大学演習林(現在の東京大学北海道演習林)のような大学附属農地、帝室林野局が管理する皇室の御料地によって大部分が占有され、小資本の自作農地は僅かばかりでした。多くの移民たちは大農場の小作人として土地を借り受け、鬱蒼たる原始林を刈り分けながら奥地へと開拓していきました。


下富良野村戸長役場






1900年(明治33)、十勝線(現在の富良野線)の下富良野〜鹿越間が開通すると、下富良野駅が本通りの突当りに設置され、市街地が形成されました。
鉄道の開通は入植者と物資を送り込むと同時に、開拓地の農産物・木材などの生産物を運び出す開拓の原動力として活躍し、次第に入植者が増えていきました。
このように富良野盆地の開拓が進展した結果、1903年(明治36)、現在の上富良野町から占冠村まで行政区域が及んでいた富良野村は、上富良野と下富良野の2村に分割され、同年9月1日、下富良野村戸長役場が市街地に設置されました。


兜谷徳平氏












富良野市の米作りは1899年(明治32)、扇山の操上貞次が試作して僅かな収穫を得たのがはじまりです。しかし下富良野村北部から中富良野村の低地は泥炭地であるために、1917年(大正6)には兜谷徳平が中心となって排水溝工事により土地を乾燥させる事業を、さらに1921年(大正10)からは布部から上富良野村に至る用水路工事が行われました。これを契機に、富良野盆地は美田を誇る米作地帯に変貌を遂げることになりました。

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歴史と郷土芸能 : 5 富良野獅子舞
投稿日時: 2006-1-9 12:40:00 (2315 ヒット)


明治42年 学田三区獅子舞の初演 









現在の富良野獅子舞








富良野獅子舞のルーツは富山県砺波市五郎丸の砺波獅子で、越中獅子舞の中でも最も重厚勇壮な「百足獅子」です。「百足獅子」とは獅子の胴幕にたくさんの人が入るタイプで、富良野獅子舞は頭1・中足6・尾1の計8人で舞います。
富良野獅子舞の前身は「学田三区獅子舞」で、札幌農学校(現在の北海道大学)第八農場の三区に入植した富山県出身者を中心とする人々が、1909年(明治42)7月、農場の成墾記念碑落成式で公演したのが始まりです。
戦後、地域の市街化や若者の流出によって継続が難しくなった時期もありましたが、1968年(昭和43)、名称を「富良野獅子舞」と改称し、「富良野獅子舞保存会」が設立されました。この伝承活動は富良野工業高等学校の郷土史研究会・応援団の生徒が中心となって受け継ぎ、1969年(昭和44)には富良野市民俗文化財に指定されました。その後、1984年(昭和59)からは、市内の青年有志によって引き継がれています。

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歴史と郷土芸能 : 6 越中伝承山部獅子舞
投稿日時: 2006-1-8 12:40:00 (2006 ヒット)


 山部獅子舞








 おかめひょっとこの舞






山部地区に伝わる越中伝承山部獅子舞は、富山県下新川郡新屋村から移住した荒田長平氏によって始められました。同氏が山部神社祭典に獅子舞がないのはさみしいと、村の若者を集めて手ほどきし、1950年(昭和25)9月8日に設立、活動を開始しました。山部獅子舞は農耕の神に対する神楽的な舞であり、豊年満作を祈り、田や畑の病害虫を追い払う願いを込めた舞です。演目は「獅子起し」「おかめひょっとこの舞」「酒樽舞」などがあります。二人立ちの獅子で下新川獅子、新屋の獅子の系譜に属すると考えられ、現在では伝承された舞がユーモラスにアレンジされています。

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歴史と郷土芸能 : 7 富丘獅子舞
投稿日時: 2006-1-7 12:40:00 (1798 ヒット)


 富丘獅子舞の獅子頭








富丘獅子舞は香川県から雨竜町に入植し、その後大正時代中頃に富丘地区に移った人々が讃岐で舞った獅子舞を伝えたものです。この獅子舞は二人立ちの獅子で、子役の太鼓打ちが獅子を退治する舞です。富丘神社祭例に公演し、祭りに華を添えていましたが、昭和11年から17年までの短い期間で伝承が途絶えてしまいました。この当時使われた獅子頭が富良野市博物館に展示されています。

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歴史と郷土芸能 : 8 布礼別神楽
投稿日時: 2006-1-6 12:40:00 (1868 ヒット)


 布礼別神楽の面













 布礼別神楽の台本








布礼別神楽は岩手県出身の入植者が故郷で修得した仙台神楽を伝承したもので、座長の菅原勘之丞を中心として富良野沿線の神社発展にいろどりを添えました。神楽は神を舞踏と歌、雅楽によって祭る舞楽で、神が舞楽を通して人々の願いごとに応えるものと考えられています。布礼別神楽は1911年(明治44)から約10年間活動していましたが、その短い歴史を残して解散してしまいました。布礼別神楽で使用した台本をはじめ、面や刀の鍔が富良野市博物館に展示されています。

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歴史と郷土芸能 : 9 北海へそ踊り・へそ音頭
投稿日時: 2006-1-5 12:40:00 (3617 ヒット)


 昭和44年 第1回北海へそ祭り









 現在の北海へそ踊り














北海へそ踊りは1969年(昭和44)、市民憲章「わたしたちは、北海道の中心標が立つ富良野の市民です」の普及の一環として創作された比較的新しい郷土芸能です。操上秀峰氏の原案の下、「へそ音頭」「へそ踊り」の創作が操上秀峰、横尾栄治郎、森田藤八の3氏によって試行錯誤を重ねながら生み出され、振り付けは藤間真富氏が行いました。
第1回北海へそ祭りは同年8月15日に開催され、この時、すずらん商店街が考案した図腹スタイルが現在にまで引き継がれています。1979年(昭和54)、操上氏を会長に「北海へそ踊り保存会」が発足し、今では北海道の夏を飾る一大イベントになっています。

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歴史と郷土芸能 : 10 富良野弥栄太鼓
投稿日時: 2006-1-4 12:40:00 (3508 ヒット)


 富良野弥栄太鼓保存会







 富良野弥栄太鼓保存会少年部








富良野弥栄太鼓は1973年(昭和48)7月、富良野市長高松竹次氏が米の生産調整により農村青年の活動が低迷していく状況の中で、青年たちを活気づけることを目的に、作曲家八州秀章氏に作曲を依頼し誕生しました。農村青年が主体となって連日連夜の特訓を行い、同年9月14日、富良野市開基70周年記念式典において初公演が行われました。1987年(昭和62)8月には、北海へそ祭りで子供樽太鼓を打っていた少年たちを中心に少年部が創設されて、太鼓を通じた「青少年の健全育成」と「地域文化の担い手養成」に貢献しています。現在も成人式、北海へそ祭り、ワインぶどう祭り、スキー祭り、富良野神社祭例などの各種イベントで公演活動を精力的に行っています。


少年部会員募集中 弥栄(いやさか)太鼓保存会少年部では、小学3年生から中学3年生までの元気な子供たちを募集しています

(募集対象)小学3年生〜中学3年生までの児童・生徒
(練習日)毎週水曜日 午後6時30分〜午後7時45分
(練習場所)富良野市郷土芸能伝習館(富良野市布部)
(会費)月額500円(少年部父母の会会費として)
(指導員) 富良野弥栄太鼓保存会会員がやさしく初歩から指導します。
(申込方法) 富良野弥栄太鼓保存会090−6448−7450までご連絡ください。

富良野弥栄太鼓保存会のFacebookページ
https://www.facebook.com/iyasakataiko/

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