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    歴史と郷土芸能 : 広報ふらの7月号文化財特集
    投稿日時: 2021-7-30 17:02:04 (142 ヒット)

    広報ふらの7月号では、富良野市の文化財を特集しました。

    市内には様々な歴史的な文化財がありますが、現在、博物館では、昭和33年に建造された勇振川温水ため池の文化財登録を目指しています。

    本年5月にはJR社内誌でも紹介されましたが、今回は広報ふらので少し詳しく解説します。また札幌市立大学名誉教授・羽深久夫先生の評価コメントも紹介しています。ぜひご一読ください。

    本文はこちら↓

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    歴史と郷土芸能 : 弥栄太鼓保存会の活動の紹介記事について
    投稿日時: 2020-9-5 12:00:00 (404 ヒット)

    富良野弥栄太鼓保存会は、昭和48年に誕生した富良野市の代表的な郷土芸能です。
    未経験者ばかりではじめられた会ながら、熱心な練習や後進の育成と継承のおかげで立派な和太鼓集団となり、昨年は全国大会の出場権も獲得しました。この保存会の活動が北海道文化財保護協会の会報で紹介されました。当館学芸員の澤田が執筆しています。

    保存会公式フェイスブックページでは活躍を随時発信しており、過去の演奏動画も見ることができます。ぜひご覧ください(下記リンク)。
    https://www.facebook.com/iyasakataiko

    会員も随時募集しています。活動にご興味がありましたら、会の方にお問い合わせください。


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    歴史と郷土芸能 : 富良野神社例大祭と郷土芸能
    投稿日時: 2019-9-15 5:49:43 (210 ヒット)

    「9/7・9/8山部獅子舞の演舞披露」の記事でも紹介しましたが、この季節、郷土芸能の担い手が市内各地で活躍しています。

    8/25は富良野神社例大祭。神社神輿に続いて富良野獅子舞と弥栄太鼓が各町内に設けられた御旅所を練り歩き、地域のお店や買い物客、観光客の方々の無病息災、厄除けを祈願しました。


    この日は雨が降ったりやんだりの不安定な天候で躍り手や叩き手たちにとっては厳しいコンディションでしたが、悪天候に負けず披露する姿に観客たちは大きな拍手が送られていました。
    写真は富良野マルシェ広場での富良野獅子舞の演舞です。




    弥栄太鼓保存会は他にも地域のイベントなどに積極的に参加しています。
    8/25は地元ホテルのお祭り「プリンス感謝祭」に参加し、炎天の中勇壮な太鼓の音を響かせていました。



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    歴史と郷土芸能 : 9/7・9/8山部獅子舞の演舞披露
    投稿日時: 2019-9-11 16:30:00 (259 ヒット)

    9月8日(日)山部神社例大祭が執り行われ、山部獅子舞保存会会員の皆さんによる山部獅子舞の演舞が披露されました。神輿が巡る各町内に設けられた御旅所にて、若々しく迫力ある舞で観客の目を楽しませ、町民の無病息災、厄除けが祈願されました。

















    前日7日には、山部中学校学校祭で全校生徒による山部獅子舞も披露されました。地域に根差した郷土芸能の伝承活動を通じて、郷土愛と後継者を育むことを目的に実施しており、演舞指導には山部獅子舞保存会会員が指導にあたっています。山部中学校は今年度で閉校となるため、中学校生徒による最後の発表会となりました。会員の迫力ある演舞に負けない素晴らしい立派な演技を披露してくれました。


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    歴史と郷土芸能 : 富良野弥栄太鼓保存会in北海へそ祭り
    投稿日時: 2019-7-30 17:02:59 (313 ヒット)

    7月28日・29日に富良野市最大のイベントの一つ、第51回北海へそ祭りが開催されました。

    祭りを盛り上げ、彩るプログラムとして、富良野弥栄太鼓保存会の演奏が披露されました。28日は北海へそ踊り大会の前段に、29日は初っ端に演奏。代表曲の一つ「空知川清流流れ打ち」などが演奏されました。たくさんの聴衆から拍手喝采を受けていました。聴衆の中にはインバウンドの方も多く見られ、スマホのカメラでバシャバシャ撮影していました。

    演目の最後には、少年部が登場。今年も参加するコンクールで演奏予定の「常笑」を発表してくれました。少年部の演奏も迫力満点!全国大会を目指して、さらに頑張ってほしいですね!この後、8月末の富良野神社例大祭などでも演奏が披露されますので、ぜひ一度和太鼓の迫力を体感してみてはいかがでしょうか。なんせ、カッコいいですよ!


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    歴史と郷土芸能 : 郷土芸能伝習館の絨毯張替えをしました
    投稿日時: 2019-5-9 15:20:00 (214 ヒット)

    5/6の大型連休最終日に市内布部にある「富良野市郷土芸能伝習館」の絨毯の張替えと大掃除を富良野弥栄太鼓保存会会員と少年部会員保護者の皆さんと一緒に行いました。

    郷土芸能伝習館は、富良野弥栄太鼓保存会の練習場所と市指定文化財である富良野獅子舞保存会の用具保管庫として使用している施設で、平成15年に設置されました。

    ホールの絨毯が経年劣化で擦り切れてしまったため、今回新たに絨毯を購入し、富良野弥栄太鼓保存会の皆さんと一緒に張替作業を行い、ついでに大掃除も行いました。

    大きなロールの絨毯を張替える作業に手間取りましたが、成人会員、少年部の子どもたち、保護者の頑張りで3時間ほどで終了。きれいである着心地の良い練習場所に生まれ変わりました。

    少年部は今年も全道大会に出場予定で、全国を目指して頑張るそうです。富良野弥栄太鼓は富良野神社祭や北海へそ祭り、成人式などで毎年演奏を披露していますが、その演奏はリズミカルで力強く、勇壮。和太鼓ってとってもカッコいい、そう思わせます。興味のある方はぜひ一度、練習を覗いてみてはいかがでしょうか。













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    歴史と郷土芸能 : 1 富良野市の歴史
    投稿日時: 2006-1-13 12:50:00 (2228 ヒット)

    富良野市は北海道のほぼ中央に拡がる富良野盆地に位置しています。盆地の西には夕張山地、東には大雪山連峰から連なる十勝岳山系が屏風を立てかけたようにそびえ立ち、この間を石狩川水系最長の支流である空知川が山々から注ぐ支流を集めて悠々と流下しています。南東部には富良野市域の約を占める東京大学北海道演習林の広大な樹海が拡がっており、多様な動植物が生息しています。
    豊かな自然環境に育まれた富良野の雄大な大地。この大地には人間と自然が織りなす数々のドラマがいにしえより刻まれています。

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    歴史と郷土芸能 : 2 先史時代の富良野
    投稿日時: 2006-1-12 12:50:00 (2832 ヒット)

     富良野市内の先史時代の遺跡は、現在までに127か所が確認されています。最古の遺跡は約12,000年前の東麓郷1・2遺跡で、後期旧石器時代終末期の石器群が出土しています。同時代の北海道内の遺跡では類例の少ない土器片が発見されており、旧石器時代終末期から縄文文化の出現を考究する上で注目されています。旧石器時代の遺跡は麓郷・布礼別・富丘等の標高が400mを越える地点に分布しています。
     縄文時代の遺跡は河岸段丘や扇状地、湧水地の周辺に数多く立地しています。その中でも無頭川遺跡や鳥沼遺跡は規模の大きな遺跡で、発掘調査の結果、竪穴住居址や墳墓などの遺構とともに夥しい量の土器・石器などが出土しています。無頭川遺跡では500基以上の墳墓が確認されており、墓の中から石鏃、石斧、コハク製の平玉などの副葬品が発見されています。

    東麓郷1遺跡出土の遺物群
     













    無頭川遺跡出土の土器群







    無頭川遺跡出土の琥珀製平玉







     縄文時代の遺跡が数多く確認されている一方で、続縄文時代前半以降の遺跡は僅少です。これに後続する擦文時代の遺跡も極めて少なく、アイヌ文化期の遺跡は今のところ見つかっていません。

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    歴史と郷土芸能 : 3 富良野盆地の発見
    投稿日時: 2006-1-11 12:50:00 (2281 ヒット)

    大雪十勝岳山系眺望の図(松浦武四郎「十勝日誌」より)




     富良野盆地を初めて訪れた和人は、函館奉行所石狩在勤の足軽松田市太郎とされています。市太郎は1857年(安政4)に美瑛川上流から十勝岳に登頂し、硫黄を持ち帰ったことが『イシカリ川水源見分書』に記録されています。翌年の1858年(安政5)には蝦夷地探検で知られる松浦武四郎が美瑛から山麓沿いに十勝越えをしたときに富良野を通過したことが、『十勝日誌』に記されています。

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    歴史と郷土芸能 : 4 富良野原野の開拓
    投稿日時: 2006-1-10 12:50:00 (3657 ヒット)


    中村千幹氏










    1896年(明治29)、北海道庁による富良野盆地の殖民地区画測量が行われ、その翌年にはフラヌ原野の貸下げが告示されました。1897年(明治31)、福岡県出身の中村千幹が地元の代議士佐々木正蔵の名義で、土地の貸下げを受けて筑後組合農場の管理人として扇山に入地しました。これが富良野市の開拓のはじまりです。



    明治38年 本間牧場の開拓






    富良野市域の開拓地は資本家による大農場や札幌農学校附属第八農場(後の北海道大学)・東京帝国大学農科大学演習林(現在の東京大学北海道演習林)のような大学附属農地、帝室林野局が管理する皇室の御料地によって大部分が占有され、小資本の自作農地は僅かばかりでした。多くの移民たちは大農場の小作人として土地を借り受け、鬱蒼たる原始林を刈り分けながら奥地へと開拓していきました。


    下富良野村戸長役場






    1900年(明治33)、十勝線(現在の富良野線)の下富良野〜鹿越間が開通すると、下富良野駅が本通りの突当りに設置され、市街地が形成されました。
    鉄道の開通は入植者と物資を送り込むと同時に、開拓地の農産物・木材などの生産物を運び出す開拓の原動力として活躍し、次第に入植者が増えていきました。
    このように富良野盆地の開拓が進展した結果、1903年(明治36)、現在の上富良野町から占冠村まで行政区域が及んでいた富良野村は、上富良野と下富良野の2村に分割され、同年9月1日、下富良野村戸長役場が市街地に設置されました。


    兜谷徳平氏












    富良野市の米作りは1899年(明治32)、扇山の操上貞次が試作して僅かな収穫を得たのがはじまりです。しかし下富良野村北部から中富良野村の低地は泥炭地であるために、1917年(大正6)には兜谷徳平が中心となって排水溝工事により土地を乾燥させる事業を、さらに1921年(大正10)からは布部から上富良野村に至る用水路工事が行われました。これを契機に、富良野盆地は美田を誇る米作地帯に変貌を遂げることになりました。

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