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開館時間: 9時〜17時
公民館エリアは21:30まで開室
※(日)(祝)のぞく

休館日 : 毎週月曜日
年末年始(12/31〜1/5)
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    博物館コラム・読みもの
    読みもの・コラム : 「まちの貴重な文化財」広報ふらので連載開始
    投稿日時: 2021-7-30 16:44:19 (49 ヒット)

    2021広報7月号(vol.718)から、新連載「まちの貴重な文化財」が始まりました。
    毎月、富良野市内の自然・歴史・文化にまつわる遺産を取り上げて紹介していきます。

    連載第1回目は富良野市街地の「勝山商店と新相生商店街アーケード」。文化財の紹介だけでなく、関わる人々の思いも広報ふらのでお伝えします。

    記事はこちら↓

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    読みもの・コラム : 富良野岳登山道「七ツ滝」の命 7月28日(シリーズ 今日は何の日)
    投稿日時: 2021-7-28 0:00:00 (111 ヒット)

    今日は何の日
    7月28日
    富良野岳登山道「七ツ滝」の命名

     今でこそワタスゲやモウセンゴケが生育する高層湿原や、林間、沢沿いそれぞれのコースで山歩きが楽しめ、富良野岳へも続く登山道が人気の原始ヶ原散策路ですが、それまでほとんど人が入ることのなかったこの登山道を開くために探検した人々がいました。それが富良野保勝会(いまの観光協会のようなもの?)が計画した探検踏査会のメンバー、当時の日甜富良野所長の澤井梅次郎と理髪店店主の鈴木廣ら19人です。
     

     彼らは昭和8年7月28日の昼から布部川沿いに登り始め、出合った滝に「不動の滝」「錦糸の滝」などと名付けつつ進み、標高950mの地点で野営しました。この夜大雨に悩まされ、芦別岳の遭難事件などが頭をよぎり不安を感じつつも、快晴となった翌日、歩き始めて40分ほどで高山植物の彩る平坦地(後の原始ヶ原)にたどり着きます。繁茂する湿原植生を目の当たりにした一同は「一幅の南画を見る趣き…」とため息をついて見とれました。そしてこの日の昼には富良野岳頂上に達し、東には十勝平野をこえて阿寒岳を、西南は富良野盆地を見下ろし、芦別岳、夕張岳を一望に、さらには羊蹄山や駒ヶ岳までも(!)遥かに望むことができたといいます。
     

     その後、十勝岳を経て翌朝吹上温泉に到着しました。吹上温泉で出会った北海道庁長官佐上信一に「富良野町より布部川渓流沿いの富良野岳登山は絶景に恵まれ変化の多き渓流と幾多の飛瀑探勝は国立公園に指定されれば公園の真価は大いに発揮され登山の効果大なるものがあります」と説明する一幕もあったそうです。このことがその後の国立公園の指定に一役かったかも…というのは想像の世界です。

     

     この登山道は現在も富良野山岳会ほかの方々が毎年整備してくれており、特に毎年のように春先の雪解け水で橋が流されてしまう滝コースの橋は大変な労苦をはらって修復しています。また、湿原を抜ける道では登山者の歩いた道跡が削れて高層湿原が荒廃する問題も起きており、登山道の整備と湿原の保全や再生にかかる作業や費用を今後どのように担っていくかを考える岐路に立っています。

    ※この記事は『続・ふらのこぼれ話』(1984年 富良野市郷土研究会)P104 第15話「富良野岳探検踏査記」を元に記述しました。より詳しい話を知りたい方はこちらをお読みください(市立図書館などで借用できます)。

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    読みもの・コラム : コラム:博物館の昔の道具『徳利・酢瓶』
    投稿日時: 2021-7-1 15:00:00 (48 ヒット)

    博物館の昔のどうぐ(4)
    徳利・酢瓶

    一升徳利・二升徳利・酢瓶など、数多く寄贈されています。昔は量り売りだったので、瓶をもって買いに行くものでした。徳利と言えば、ネクタイをまいた酔っぱらいのおじさんが、千鳥足になって歩いている漫画を一番に思い出してしまいます。(後に考えると、記憶違いでしたが・・・)そんな事を思いながら、登録作業を進めました。味のある徳利ばかりで、現代でも使えるような品物です。


    左から 収蔵資料番号「生活117」「生活118」「生活120」「生活121」「生活138」

     徳利・酢瓶は「収蔵展示コーナー」(2階)などに展示されています。

    寄贈された品物のあまりの多さに、博物館のおばちゃんがてんてこまいになりながらも資料を整理し、気になるものを紹介するコラムです。

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    読みもの・コラム : コラム:博物館の昔のどうぐ『柱時計』
    投稿日時: 2021-6-1 8:00:00 (88 ヒット)

    博物館の昔のどうぐ(3)
    柱時計

     私が小学校低学年頃まで柱時計があったと記憶しています。時計が止まれば、2つのネジを回す仕事がありました(たぶん2つ)。親戚の家では鳩時計があり、「ポッポ―」と鳩が出る時計に若干のうらやましさを覚えました。今となっては、カチコチとなる音にわずらさしさと不気味さを感じるのは私だけでしょうか。


    左から 収蔵資料番号「生活2522」「生活39」「生活38」「生活37」

     柱時計はテーマ3「戦後のあゆみ」(1階)に展示されています(写真の左の資料)。

    寄贈された品物のあまりの多さに、博物館のおばちゃんがてんてこまいになりながらも資料を整理し、気になるものを紹介するコラムです。

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    読みもの・コラム : 5月19日 御料地の開拓(コラム「今日はなんの日?」)
    投稿日時: 2021-5-19 0:00:00 (129 ヒット)

    今日は何の日?
    5月19日 御料地の開拓

     大正2年のこの日は奈良県吉野郡中荘村の人々が御料地域(当初は下御料)に入植した日です。中村千幹らが最初に富良野(扇山地域)に入植したときから20年近くが経過したこの頃、耕作に適した地は既に人々が暮しをきざんでおり、彼らが取得した御料の地は、開拓の鋤を受け付けない石礫荒蕪の地でした。入植は団体長・植崎昇二郎を中心に40戸(翌年の入植者を合わせると49戸)でなされましたが、櫛の歯をひくように、故郷に帰るもの、他の土地に転住するものが相次ぎ、開拓農家は10戸足らずしか残りませんでした(昭和50年頃の記録)。
     なお、上御料には同じ大正2年のうちに奈良県吉野郡宗桧村・国栖村・山形県・徳島県の団体が、中御料には故郷の異なる人々40戸の集団である都団体が入植しています。
     
    (左:御料地の入植者(吉野団体)の記念写真 右:馬耕風景)

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    読みもの・コラム : コラム『馬わらじ』(シリーズ博物館の昔のどうぐ)
    投稿日時: 2021-5-1 0:00:00 (66 ヒット)

    博物館の昔のどうぐ(2)
    馬わらじ

     冬の間のすべり止め用に牛や馬にはかせたもの。ひづめを保護する役目もあったようですが、蹄鉄の普及で使用されなくなっていきました。藁でしっかり編み込まれ丈夫に作ってあり、昔の人の技術に驚かされます。人間だけではなく、家畜にも草鞋を履かせてあげた優しい背景を思い、心ひかれました。
     テーマ3「富良野の開拓」(1階)に展示してあります。



    寄贈された品物のあまりの多さに、博物館のおばちゃんがてんてこまいになりながらも資料を整理し、気になるものを紹介するコラムです。

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    読みもの・コラム : 【コラム】4月22日 ようこそ「青い目の人形」(シリーズ 今日は何の日)
    投稿日時: 2021-4-22 0:00:00 (62 ヒット)

    今日は何の日?
    4月22日 ようこそ「青い目の人形」

     昭和2年のこの日は富良野小学校に西洋人形の贈り物が届いた日です。富良野だけでなく日本中の小学校にはるばるアメリカから人形が届けられました。


    ギューリック博士(左)と青い目の人形

     これはアメリカ人のシドニー・ギューリック博士の発案でした。当時、アメリカでは日本人移民に対する反感が強くなってきており、親日家のギューリック博士はそんな世の中の雰囲気を憂いて、アメリカの子供たちから日本の子供たちへ人形を贈ろうと提案したのです。
     山部小学校にも人形が届いたことが記録されており、『開校70周年記念誌・やまべ』に人形の到着を記念して「米国お人形歓迎展覧会」が開かれたときの写真が掲載されています。贈られた人形は12,739体にも及び、そのお礼として、日本からも日本人形がアメリカの子供たちに贈られました。

     
    山部小『米国お人形歓迎展覧会』(左)とニューヨークで開かれた答礼人形歓迎会

     しかし、その後日本とアメリカの関係は悪くなり続け、ついには戦争となってしまいます。青い目の人形は迫害の対象となり、多くは焼かれるなどして破壊されてしまいました。それでも世の中の風潮に流されず、密かに残されたいくつもの人形がありました。富良野市博物館で展示されているのもそのうちの一体で、これは本慎寺の中島住職から寄贈いただいたものです。


    寄贈を紹介する当時の新聞記事

    ※この記事は『ふらの博物誌』(2014年 富良野市郷土研究会)P125「東山の青い目の人形」(中島英明氏)を元に記述しました。より詳しい話を知りたい方はぜひご一読ください。(市立図書館などで借用できます。購入希望の方は富良野市博物館までお問い合わせください。☎0167ー42-2407)

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    読みもの・コラム : 『保留用オルゴール』(シリーズ博物館の昔のどうぐ)
    投稿日時: 2021-3-12 17:00:00 (122 ヒット)

    博物館の昔のどうぐ(1)
    保留用オルゴール

     「ダイヤル式黒電話」は電話を掛ける、受けるの機能しかなく、保留中のオルゴールは当時とても画期的な品物だった記憶があります。受話器をオルゴールに置くと心地よい音色が流れます。音楽の音色が何種類あったのかは忘れてしまいましたが、収蔵されたものを見つけて、当時の懐かしい記憶を思い出しました。




    このコラムでは、寄贈資料の登録や既存の収蔵資料の整理の際に、職員が心惹かれた「昔のどうぐ」を紹介します。

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