
5月19日
御料地の開拓 大正2年のこの日は奈良県吉野郡中荘村の人々が御料地域(当初は下御料)に入植した日です。中村千幹らが最初に富良野(扇山地域)に入植したときから20年近くが経過したこの頃、耕作に適した地は既に人々が暮しをきざんでおり、彼らが取得した御料の地は、開拓の鋤を受け付けない石礫荒蕪の地でした。入植は団体長・植崎昇二郎を中心に40戸(翌年の入植者を合わせると49戸)でなされましたが、櫛の歯をひくように、故郷に帰るもの、他の土地に転住するものが相次ぎ、開拓農家は10戸足らずしか残りませんでした(昭和50年頃の記録)。
なお、上御料には同じ大正2年のうちに奈良県吉野郡宗桧村・国栖村・山形県・徳島県の団体が、中御料には故郷の異なる人々40戸の集団である都団体が入植しています。

(左:御料地の入植者(吉野団体)の記念写真 右:馬耕風景)