| 水稲発祥之地碑
富良野市の米作は、1899年(明治32)に扇山の操上貞次が自宅裏で試作し、6斗の収穫を得たことにはじまる。その功績を後世に伝えるため、1952年(昭和27)に富良野開町50周年記念事業の一環として建立される。 (昭和27年8月建立、南扇山) |
ヒット数3204
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| 杉山月魄句碑
「人の世の一日も暮れて草の花」 (昭和33年11月建立、山部町西20線芦別岳登山口前) |
ヒット数2934
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| 瀬川翁之碑
瀬川熊次郎氏は扇山農友会長、農事実行組合長などを歴任、多くの事業に精励し、扇山地区発展の礎を築き上げた。1958年(昭和33)、85歳で逝去。 (昭和34年8月建立、扇瀬公園) |
ヒット数2993
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| 西川青涛歌碑
「ひむがしの空の高処に火を抱く十勝は父とわがあふぐ山」 (昭和43年9月建立、富良野プリンスホテル前庭) |
ヒット数3167
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| 西達布開墾記念碑
東山地区の開拓は1910年(明治43)、東大演習林の林内殖民が西達布川本流沿いに入植したのがはじまりである。記念碑は開拓の進展と開墾15周年を記念し、借地人たちが東大演習 林への感謝の意を込めて建立される。 (大正13年8月建立、東山神社境内) |
ヒット数3674
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| 斉藤文承歌碑
「ふるさとの空知の川に抱かれし石は時世を経て光りあり」 (昭和50年9月建立、北の峰町35番) |
ヒット数3208
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| 扇山開拓碑
富良野市の開拓は1896年(明治29)、中村千幹が扇山に足を踏み入れ、翌年同地へ入植したことにはじまる。碑は扇山開基50周年を記念して建立。 (昭和28年1月建立、中央公民館扇山分館) |
ヒット数3243
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| 遭難慰霊碑
1956年(昭和31)6月、芦別岳登山中の事故により、旭川商業高等学校定時制山岳部の学生2名が死亡。石碑は同校山岳部によって建立された。 (昭和57年6月建立、山部町西20線芦別岳登山口前) |
ヒット数4030
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| 中村千幹氏之像
福岡県出身の同氏は1896年(明治29)、空知川を遡り入地。翌年、旭川経由で入植し、扇山に筑後組合農場を創して支配人となった。富良野市の開拓に初めて緒をつけた人物であり、地域の開拓に大きな功績を残した。1916年(大正5)に51歳で病没。富良野市開基70周年を記念して建立される。 (昭和44年建立、弥生町1番 富良野市役所前庭) |
ヒット数4896
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| 朝日ヶ丘八十八ヶ所
高野山真言宗富良野寺第二世、宮田静機住職が信徒とともに1930年(昭和5)から、なまこ山に参拝順路の整備を始め、昭和7年、八十八体の仏像を安置して完成した。1番は富良野寺にあり、2番〜88番が公園内の散策路に配置されている。 (昭和7年11月安置、朝日ヶ丘公園) |
ヒット数3211
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