| 高松竹次之像
1955年(昭和30)、富良野町長に就任。その後東山村・山部町と合併し、1978年(昭和53)まで市政を執行する。胸像は1996年(平成8)、市制施行30周年を記念し、同氏の功績を讃えて建立される。1988年(昭和63)、81歳で逝去。富良野市名誉市民。 (平成8年5月建立、弥生町1番 富良野市役所前庭) |
ヒット数3601
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| 山田嘉久平翁之碑
同氏は1902年(明治35)、未墾地の貸与を受けて島の下地区にはじめて入植。地域の公職を務めるとともに、公共事業に尽力した。この功績を讃えて地域の人々が頌徳碑を建立した。 (大正11年9月建立、島の下神社前) |
ヒット数3407
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| 山部官設駅逓跡地
1900年(明治33)、山部駅開業と同時に設置。小林菊次郎が取扱人となった。1912年(明治45)には廃止される。写真は駅逓前で撮影した菊次郎とその家族。 (明治33年開業、山部駅前) |
ヒット数5118
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| 山部郷土繁栄之礎
区の総合土地改良事業が1979年(昭和54)に完了したことを記念して、空知川上流土地改良区によって建立される。 (昭和54年8月建立、山部支所前) |
ヒット数3268
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| 山部石綿鉱山採掘跡
国内随一の石綿鉱山。1937年(昭和12)に石綿が発見されると工場が建設され、山部村は石綿鉱山の城下町と化した。昭和40年代には規模の縮小あるいは閉山を余儀なくされた。石綿の鉱脈は布部まで延び、軍需物資として盛んに採掘された。 |
ヒット数7780
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| 山部第一小学校校舎
1910年(明治43)、山部尋常小学校山部第一分教場として開校。その後、山部第一尋常小学校となり、1934年(昭和9)に木造平屋建の校舎が建築される。 (昭和9年建築、山部町西14線12) |
ヒット数8485
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| 樹海の碑
1968年(昭和43)、北海道開拓100年記念事業として数百名の自然を愛する人々により建立。揮毫は元東大演習林長故高橋延清氏。建立地から東大演習林の「樹海」を眼下に一望できる。 (昭和43年9月建立、国道38号線 樹海峠) |
ヒット数5331
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| 出口王仁三郎(神生)歌碑
「芦別の山はかなしも勇ましも神代ながらの装ひにして」 (昭和7年5月建立、昭和41年9月再建、大本教北海本苑境内) |
ヒット数4090
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| 小田観蛍歌碑
「十勝岳火は生くかぎり絶えせねば けはしき 道もわれは行くべし」 (昭和25年7月建立、鳥沼公園) |
ヒット数5277
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| 松浦武四郎通過の地碑
1858年(安政5)、幕末の探検家松浦武四郎が美瑛から山麓をたどり、原始ヶ原を通過して十勝越えをしたことが同氏著『十勝日誌』に記されている。碑は富良野山岳会が建立。 (平成6年5月建立、原始ヶ原) |
ヒット数4021
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