5月19日 御料地の開拓(コラム「今日はなんの日?」)

掲載日 2021-5-19 0:00:00 | トピック: 読みもの・コラム


5月19日
御料地の開拓

 大正2年のこの日は奈良県吉野郡中荘村の人々が御料地域(当初は下御料)に入植した日です。中村千幹らが最初に富良野(扇山地域)に入植したときから20年近くが経過したこの頃、耕作に適した地は既に人々が暮しをきざんでおり、彼らが取得した御料の地は、開拓の鋤を受け付けない石礫荒蕪の地でした。入植は団体長・植崎昇二郎を中心に40戸(翌年の入植者を合わせると49戸)でなされましたが、櫛の歯をひくように、故郷に帰るもの、他の土地に転住するものが相次ぎ、開拓農家は10戸足らずしか残りませんでした(昭和50年頃の記録)。
 なお、上御料には同じ大正2年のうちに奈良県吉野郡宗桧村・国栖村・山形県・徳島県の団体が、中御料には故郷の異なる人々40戸の集団である都団体が入植しています。
 
(左:御料地の入植者(吉野団体)の記念写真 右:馬耕風景)

 上御料の堀川卯市さん、下御料の桶田庄吉さんは植崎さんの若き良き同士となった人物で、植崎さんから教えを受けながら、共に農事の方針を模索し開拓を一歩一歩進めていきました。三人の事績を残す『御料開拓史』には以下のような記述があります。

大正四年十一月十三日 乙(堀川卯市)
本日十日以来引き続キ降雪霏々タリ、堆肥舎建築用敷地ニ埋設スベク畑ニ起シアル石集メ、佐藤宇一郎氏運搬、小生は甲者ト共ニ積ミ上ゲ
(十日から細かい雪が降り続けている。毎日、日中は堆肥舎建設用に掘り出してある石を集め、佐藤宇一郎さんが運搬し、私(堀川氏)と植崎さんが積み上げ、)
終日夜ハ宇一郎ハ、北海道ノ気象ト作物ノ短時日ニ出来上ルモノ故、質(分子)疎ナル事共当地ノ耕地ハ比較的狭隘ナレバ五サイ(狭キ)土地ニ堆肥等ヲ施シ、面積少キ地所ニ於テ多額ノ収穀ヲ計ル等、高価ノ成産品ヲ上ゲル事共話シ合タリ 外気寒威凛烈深夜炉辺ノ会議ヲナシタリ(そして夜は今後の農事のやり方について話し合った。宇一郎氏は北海道の気象では作物は短い日数で出来上がるため見た目より軽くなってしまう、土地が比較的狭いこの地では多めに堆肥をほどこし、小面積で多額の収量を得ることをめざして値段の高い作物を育てるべきだと述べ、それについて話し合った。寒い外気を感じ身が引き締まる深夜におよぶ会議であった。)

十一月十四日 丙(桶田庄吉)
雪中ヲ掘リ出シ石ヲ運搬ス、本日ノ作業之ノミ、即チ四年春期起シ積ミ置キアリシモノナリ、今序ニ之ヲ運ビ置カザレバ来春ニ至リテ思ヒ出スナリ
(雪の中から掘り出した石を運搬する。今日した作業はそれのみ。今年の春に掘り返して積み置いたもので、今ついでに運んで置いておかなければ、来年の春に思い出すだろう(春の忙しい時期に困ることになる)。)
 
(左:開拓記念碑 右:上御料の地に残る一本桜)

 耕地に埋まる石礫に悩まされならも仲間と共に前向きに農業に取り組む姿がひしひしと伝わってくる文章です。御料開拓史は三人の「交換日記」のような形式で書かれていますが、ときに植崎氏が二人を厳しく指導する内容の記述があり、「古武士のような」と言われた教育者的な人柄も伝わってきます。


 開拓の歴史が結んだ縁で現在吉野町と富良野市は交流事業を行っています。2019年8月には「こども交流事業」と題して8名の小学校児童が引率の方と共に富良野市に来て、農業体験や市内巡りをし、博物館も訪れてくれました。

※この記事は主に『ふらのこぼれ話』(1979年 富良野市郷土研究会)P118「第26話 御料地開拓余録」を元に記述しました。より詳しい話を知りたい方はこちらをお読みください(市立図書館などで借用できます)。



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