訪問調査〜富良野市博物館の壺は石見焼?〜

掲載日 2019-8-27 22:10:00 | トピック: 博物館活動

8月中旬、ある来館者から「博物館にある『壺』を見せてほしい」との申し出がありました。この方は石見焼の形態や流通を研究している阿部志朗先生(島根県立浜田高校)で、石見焼の製品の北海道への移入状況を調べていたのです。



展示室や収蔵庫にある壺を見て頂くと、まずは底面の表記を確認します。「〇斗」と書いてあることが多く、中には「〇号」とついていることも(〇は漢数字が入ります)。記載がない(すれて消えてしまっているなど)場合もありましたが、その場合も高台がないことや、継ぎ目(石見焼は三つほどの部分を組み合わせて作る)、模様(液体が垂れているようなマーク)等を見て、当館の壺のほぼ9割を石見焼と判断していました。
「○斗」は坪のサイズを表します。そして「〇号」とあるのは壺のセット販売をしている場合にその個数を示しています。当時輸送の利便性から大きな壺の中に中くらいの壺、中くらいの壺の中にに小さな壺を入れていき、入れ子式にして売ることが多かったのです。



石見焼は作られるようになった江戸時代ごろから北海道(や東北)に渡ってきていることが多いそうで、阿部先生はこれまでも何度か北海道に足を運び各地の資料館などにある壺を調査され、その成果を裏付けているそうです。
短い時間の滞在でしたが、収蔵物の由来について興味深い知見を教えていただくことができました。こういった地道な研究活動から歴史が解明されていくことが感じさせられました。


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