:: facebook
:: YouTube
:: 項目別記事
:: これに注目!「富良野の文化財」
帝国製麻株式会社富良野製線工場跡
  • 帝国製麻株式会社富良野製線工場跡
  • :: ここに注目!「自然散策ポイント」
    太陽の里ふれあいの森
  • 太陽の里ふれあいの森
  • :: トップページへのリンク
    歴史と郷土芸能 : 12 市指定文化財
    投稿日時: 2006-1-2 12:40:00 (2190 ヒット)

    富良野市開庁100年を記念して二史跡が市の文化財に指定(平成15年12月22日)

     富良野市に戸長役場が置かれて100年目の記念すべき年にあたり、富良野市教育委員会では市の歴史を振り返り、歴史的かつ文化的に価値の高い文化財を調査し、市の指定文化財として保存・保護及び活用を図ることを目的に、文化財調査委員会を設置し、富良野市指定文化財の調査及びその活用について諮問しました。

     平成15年12月22日の教育委員会定例会で審議し、答申を踏まえて、「北大第八農場富良野成墾記念碑」と「北大第八農場山部成墾記念碑」の二基を史跡として市の文化財に指定しました。

     市の文化財には、これまで富良野獅子舞(第一号:昭和44年2月19日指定)、北海道中央経緯度観測標(第二号:昭和46年7月13日指定)の二件が指定されています。



    富良野獅子舞(昭和44年2月19日指定)











    富良野市学田3区に入植した農民により伝承された大型の越中獅子舞。明治42年から始まり、「学田三区獅子舞」として市民に親しまれたが、戦後、若者の流出のため中断した。昭和44年富良野工業高校生によって復活し、「富良野獅子舞」と改名した。現在、市街の青年の人々により伝承されている。



    北海道中央経緯度観測標(昭和46年7月13日指定)















    1914年(大正3年)、後の京都大学教授新城新蔵博士が中心となり、地球重力・経緯度の測定のため、富良野小学校校庭に長さ95cm・幅65cmの長方形のコンクリートの台座を建てた。この地点が北海道の中心にあたることから「北海道中心標」と呼ばれ、俗に「北海道のへそ」として市民に親しまれている。毎年、7月28・29日には「北海へそ祭り」が盛大に行われている。




    北大第八農場成墾記念碑(平成15年12月22日指定)

    富良野成墾記念碑               





















    山部成墾記念碑


















    北大第八農場は、1886年(明治29)、当時の札幌農学校校長佐藤昌介の献言により、未開の富良野盆地の一部を校有財産として所管したことに始まり、富良野から山部にいたる空知川沿いの沃野(富良野地区1118町余、山部地区2,350町余、計3,468町余)は現在の市域の大部分を占めるものでした。1898年(明治31)、管理のための富良野看守所が設置されて、小作人3戸が入植したのを皮切りに、1901年(明治34)には山部看守所が設置され、以来年毎に小作人の入場は増加し、開墾地も拡大され、成墾当時の小作総戸数は700戸余りを数えました。

     これら二基の成墾記念碑は、ともに1909年(明治42)に、その開墾がほぼ完了したことを記念して、小作人たちが苦しい生活の中で資金を拠出して建立されました。市内最古の記念碑であり、これにより富良野の開拓がほぼ完了したといえます。入植間もない明治年間に、成墾記念碑が建てられたことはその開拓の進展がいかに速かったかを示すものであります。また、市域の平野部の大部分がかつては北大の農場地で、「学田」「五区」など今も残る地名の由来となっています。

     成墾記念碑の除幕式は、山部記念碑が1909年(明治42)年6月8日、富良野記念碑が同年7月7日に挙行され、佐藤昌介学長、南鷹次郎農場長らの臨席のもと、盛大に行われ、富良野記念碑の除幕式では、学田三区に入植した富山県出身者らによる「学田三区獅子舞」(市指定文化財「富良野獅子舞」の前身)が初めて公演・奉納されました。

    印刷用ページ このニュースを友達に送る 記事をPDFにする

     
    投稿された内容の著作権はコメントの投稿者に帰属します。